ログイン――ハワード王国 王都カイゼリオン 王城会議室――
玉座に座るカイゼル王を前に、主たる重臣と将軍たちは厳しい表情を見せています。
「その情報は本当なのか」
「帝国軍に潜入させている者からの情報だ。間違いないでしょう」「なぜ今頃? 三年もの間大人しくしていたではないか」彼らが困惑するのも無理はありません。リンゼン帝国が帝国軍指揮層の人事一新を行ってから三年と少し、不穏な動きは一切見られていなかったからです。
十五歳になり、もはや少年の域を出ようとしているアウグストとカイゼル王だけが冷静な表情で報告を聞いています。 王が手を上げるとそれまで騒がしかった人々が言葉を止め、王の言葉を待ちました。「皆の者、慌てるでない。何のためにこの三年間、軍備を増強し兵站基地を整備してきたと思っておるのだ」
そう言われて彼らは思い起こしました。言われてみればこれまでの訓練指示はやけに細かく、まるで何かの目的を達成するために練られているような具体性があったからです。そしてこのよう
本作はこれにて、いったんの完結を迎えました。一部の熱狂的な読者様のおかげで、ここまで歩みを進めることができました。深く感謝申し上げます。旧時代の象徴が地に落ち、新しい時代が始まる。ここで一度幕引きをしていますが、物語はさらにスケールアップし、世界の枠組みはどこまでも広がっていきます。大河思想架空歴史ドキュメンタリー。偉大な父を失い、雨の中でその亡骸をじっと見つめるアウグストとイストリア。彼らが自らの胸に去来する情念を抑え込み、統治者としての「公の責務」を背負ってどのように生きていくのか、その行く末のすべてが後半(下巻)には敷き詰められています。本作の後半につきましては、Amazon Kindleにて書籍化(電子書籍・紙のペーパーバック形式)として販売を予定しております。なお、Kindle Unlimited(読み放題)にも完全登録いたします。発売の具体的な日程が決まり次第、こちらの近況報告、ならびに本文の改稿通知にて随時告知を行いますが、ご興味のある方はぜひブックマークやフォローの上、その通知を静かにお待ちいただけますと幸いです。ここまで深く読み進めていただき、本当にありがとうございました。7月10日にGoodNovel様での公開分は削除となりますので、ご容赦ください。
「わははは! やった! やったぞ! これだけ胸のすく思いをしたのは久しぶりのことだ! 年甲斐もなく血がたぎってきたわい!」 カイゼル王に毒矢が命中するのを見届けたローゼンベルクは、まるで若さを取り戻したかのように大喜びしています。しかしその瞳に宿るのは勝利を掴んだ輝きでも、未来に希望を見出した光でもなく、ただ復讐という空虚な執念に取りつかれた人物の狂気そのものでした。「ハワード王国もこれでおしまいだ! どれ、王だけでなく兵士どもも私の剣の錆にしてくれよう!」 彼は剣の達人でもなければ、まともに振るったことすらないのですが、その思考はすでに正常なものではありません。復讐の成就という美酒に酔いしれている彼は、その衝動のままに片手で剣を握り、もはや敗北が決定的となった反乱軍の真っ只中へと走り出しました。「議員! お待ちください!」 彼にカイゼル王を狙い撃つように命令された弓兵は慌てて制止しますが、鎧すらまとっていないローゼンベルクはその笑い声だけを残して、兵士が剣をぶつけ合う喧騒の中に消えていきます。 そしてそれが、生きている彼を見た最後の瞬間になるのでした。 ――リンゼン帝国 市民集会所―― 一段高く設えられた演台の上、ハワード王国を象徴する蒼い旗にくるまれて横たわっているのは国王カイゼル・ハワード。 静かに眠るその姿は生前の威厳を保ったまま微笑を浮かべており、その手には彼の象徴である『炎の剣』が握られています。その傍らにはアウグストが俯き加減に佇み、彼の背後ではリンゼン帝国皇帝イストリアが悲痛な表情を浮かべていました。「殿下……」 イストリアは声をかけようとしますが、涙を流すこともなく、悔しさに顔を歪めることもしないアウグストに掛ける言葉が見つかりません。アウグストはただ静かに父の亡骸を見つめているだけでした。 そこへ国王の死の原因を作った張本人であるローゼンベルクが運ばれてきました。しかしそれは生きた姿ではなく、すでに冷たくなった亡骸としてでした。彼は正面から顔面に剣を受け、全身を血にまみれさせて息絶えています。敵国の王を毒矢で暗殺したとは思え
「これをあそこに見える、ハワード王に向けて撃て」 隻腕のローゼンベルクは自ら弓矢を扱うことが出来ないため、毒を振りかけた矢を兵に渡して命じます。その兵は狼狽えてしまい、その矢をなかなか受け取ろうとはしません。「ぎ、議員。いくら攻撃されているとはいえ、かの国は我が帝国の立派な同盟国。その王を討ち取ってしまっては、大変なことになるかと……」 皇帝を取り囲んでしまった以上、彼らはどうあがいても反乱軍であり、帝国の政治に介入する権利はありません。敵対関係にあるわけでもない一国の王を毒矢で射るなど、一介の兵士に判断するにはあまりにも重大な事案でした。彼が戸惑うのも当然の事だったのです。 しかし、ローゼンベルクは一歩も引きません。 その姿は先ほどまでの衰えた老人ではなく、かつて権力を欲しいままにした頃の威厳が戻っていました。 怨敵を目にし、封印していた記憶を呼び覚ましたことによって老人の魂に業火が灯ったのです。「やかましい! やれといったらすぐにやれ! 貴様がやらんのなら他のものにやらせるまで! その代わり貴様には後で生きていることを後悔するほどの処遇を課してやる!」 そこまで言われてしまっては彼に逆らう胆力など持てるはずもありません。 緊張した面持ちでその矢を受け取ると、震える手で矢をつがえました。彼の視線の先には戦場を見渡し、勝利を確信したカイゼル王の威風堂々たる騎馬姿。 彼は限界まで弓を引き絞ると、どうか当たらないようにと願いながらその指を離すのでした。 ――ハワード王国 本陣――「間もなく歩兵部隊も到着する! 騎兵たちは敵を逃がさぬよう、周囲を取り囲むことに専念するのだ!」 カイゼルは激動する戦局に応じて次々と指示を与えていきます。大局的にはもう勝敗は決したようなものの、今後のことを考えると反乱軍を外に逃がしてしまうわけにはいかないからでした。 しかし、あまりにも戦場の最前線に立っているため、アウグストが声をかけます。「父上! 前に出過ぎです! もう戦いの趨勢が見えた今、後の処理は伝令だけで充分。せめて弓矢の射程
「嘘、でしょ……」 イストリアの胸に去来したのは、まず信じられないという思いでした。 反乱が始まって五日。 ハワード王国から帝都までは通常行軍で二十日、強行軍でも十日はかかります。どう考えても計算が合わないのです。 しかし、イストリアが西の空にずっと視線を向けていたのは、ただの祈りではなく一つの希望があったからです。(彼なら、この事態を予見していたかもしれない) それも他人から見ればただの祈りにしか見えないかもしれませんが、これまで彼の戦術や戦略、そして人となりに触れてきた彼女にしてみれば、あり得ないと捨て去ってしまえる希望ではなかったのです。 そしてその希望は今、現実のものとして西の空に舞い上がっている。彼は期待を裏切ることなく、その眼力で先を見通し、事が起きる前から動き出して今、土煙を上げて帝都への道を急ぎ駆けつけてくれている。 その光景は彼女の心を熱いもので満たし、満たしきれない想いは大きな滴となってその目から溢れだします。「陛下、おはようござ……陛下?」 戦闘準備を伝えるために皇帝の元を訪れたヴィルヘルムですが、彼女が呆然とした様子で涙を流すのを見て驚きました。そして彼女が朝日を背負い、全く視線をそらさず見つめ続ける方向を見て息を飲んだのです。「まさか……」 希望を持っていたイストリアと違い、彼にとってその光景は全く信じがたいものでした。 彼は自分が寝ぼけているのか、はたまた蜃気楼を見ているのかと思い、何度も目をこすりました。しかし、どれだけ目をこらしても西から徐々に近づいてくる土煙は消えることがありません。 頬を濡らす涙を拭うこともせず、イストリアは言の葉をも溢れさせるように声を震わせます。「彼が。彼がこの事を見越して……私たちが事態に気付く前から動いてくれたのよ……」「アウグスト殿下……」 ヴィルヘルムもそう言われて思い浮かぶ人物は一人しかいま
「今日も、どうにか凌いだわね」 あれから四日が経ち、今日も退却していく反乱軍を見て、イストリアは肩の力を抜きました。 その目にはまだ光が宿っており、決して心が折れたわけではありませんが、にじみ出る疲れだけは隠すことが出来ません。 彼女だけでなく、防衛に当たる兵士の間にもはっきりと疲労の色が見て取れます。 いくら防衛側が有利とはいえ、三倍の数の敵が仕掛けてくる波状攻撃は休む間もなく、食料はあるにもかかわらずそれを食べる時間すら確保できないほど。どの兵士も、皇帝すら日が暮れてからようやくその日の食事を摂れるという状態。 イストリアが確固たる意志を見せ、常に最前線に立っていることもあり士気は落ちていませんでしたが、それも時間の問題でしかないというのは誰の目から見ても明らかでした。 反乱軍には相当な痛手を与え、その数は四万を切るほどになってはいましたが、こちらも無傷というわけではなく前線に立てるのは一万といったところ。兵力格差は四倍に広がってしまっています。「援軍は……来ないのかしらね」 そう言って遠くを見るイストリアの視線は、西の空を見ていました。 ――反乱軍 陣所――「今日も退却してくるとはどういうことだ!」 総指揮官の兵営に集まった将校たちを前に、マーカス議員の金切り声が響きます。 間もなく五日目を迎えようというのに、城門のひとつも突破できていないことに対して彼は焦っていました。彼にとって戦闘というのは勝つか負けるかの二択でしかなく、少しずつ削っていく消耗戦というのはただ時間を浪費しているようにしか映っていないのです。 元々が小心者の彼は、今こうやっている間にも皇帝に味方する援軍がいつ背後に現れるかと、恐々としていたのです。(気の小さい男だ) ローゼンベルクはその様子に冷めた視線を送っていましたが、その心境はそこにいる将校も含めた全員が共有しているのでした。「しかし議員、敵の兵力も確実に削ることができています。このまま攻める手を緩めなければいずれ落城するのは確実です」「いずれ
――リンゼン帝国 皇帝廟周辺――「ここから五百、南門に援軍を回せ!」「東門に反乱軍が押し寄せるまでに、外の軍団兵を中に入れろ!」「文官たちは矢の補給を手伝え!」 ヴィルヘルムが次々に飛ばす指示に従い、近衛兵と残存した軍団兵たちは効率よく防衛戦を展開していきます。 皇帝廟と言っても広大な敷地を占有して作られたその建物は堅固な要塞そのもので、大軍が通れないよう通路は狭く入り組んでおり、防衛壁や|矢狭間《やざま》から降り注ぐ矢によって反乱軍も前に進めません。 やがて市内に散っていた軍団兵も収容し終え、籠城体制は万全なものになります。 皇帝廟内の食料備蓄はこれだけの人数になると一か月程度分しか蓄えがないので、このまま兵糧攻めともなればいずれ陥落することは避けられないでしょう。 しかし攻める側の反乱軍にも、時間を浪費できない理由がありました。 一部の軍団兵内だけで進めた計画だったため周辺諸国に根回しをすることも出来ず、皇帝側に援軍が到着した場合、彼らは内と外から二重に包囲されてしまうことになるからです。 皇帝を確保できなかった場合の事を考えていなかった浅はかさの綻びが、ここでも大きく顕在化し彼ら自身の首を真綿で締めるようにじわじわと追い詰めていくのです。帝都内へもただ一つの門から侵入したため、皇帝が素早く走らせた援軍要請の早馬は他の門から脱出してしまい、阻止することすら敵いませんでした。 軍勢を集めて進軍させるというのは一朝一夕に出来る事ではないものの、反乱軍にとっても時間が味方になってくれないのは明らかでした。「何を愚図愚図しておる! こちらは三倍以上の兵力があるのだぞ! これしきの小勢、さっさと蹴散らかさんか!」 マーカス議員は口角泡を飛ばしながら指示を飛ばしますが、それは明確な戦略を持った人物の指揮とは程遠く、ただ我を忘れた人間が大声で喚いているだけのものでした。指揮を取る者の焦りは兵士にも伝染し、ガムシャラに攻め寄せるだけの反乱軍は各所で撃退されていきます。 「馬鹿者。いったん兵を退却させんか」 ここに来てローゼンベルクが初めて口を挟みました。止ま
――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 市街地―― 帝都兵の一部隊が列をなして祭祀場への道を急ぎます。 市民たちもその姿を目撃していましたが、祭祀にまつわる警護か催しのひとつだろうと思い、特に気にする者はいませんでした。この時点では蜂起した者たちの思惑通り。これが大部隊の派遣であれば、ただ事ではないと騒ぎになっていたでしょう。 そして彼らは市民の列をかき分け、祭祀場へ到着。「どこだ?」「どうして祭司長である皇帝がいない?」 周囲の市民に確認すると、皇帝は役割を終えた後、早々と皇帝廟に戻ったとのこと。
――リンゼン帝国 練兵場兵士宿舎 作戦会議室――「部屋の外には誰もおらぬか?」 元法務官の肩書を持つマーカス議員が、その神経質な性格を見せてしきりに外を気にします。 隣に立つウェインは護民官の任期途中で帝都から逃亡したため、ようやく今年会計検査官に滑り込みで当選したばかり。 そんな二人がたくさんの大隊長を集めて密室で話し合う様子は、どう見ても通常の軍議ではありませんでした。「そう心配しなくても大丈夫です。この周囲に配置されている兵士は先日の配置換えによって全て計画に賛同している者だけにしてあります。ここに集まっているのも信用のおける者ばかり。万が一にも露呈することはありません」
――ハワード王国 王都カイゼリオン 王城国王室――「以上、我が軍が行った帝国内での任務報告です」「ふむ」 カイゼル王は息子アウグストが淡々と語る軍務報告を顔色一つ変えずに聞いていました。ある程度は伝令役の兵から聞いていたことでもあり、大体の予想はついていたからです。「報告は分かった。して、息子よ、お前の目から見て現在の帝国、及び皇帝はどのようなものだったのだ?」 アウグストは少し考える素振りを見せた後、自分が肌で感じた帝国の空気を率直に述べました。「大多数の市民は皇帝陛下の帰還を歓迎し、窮地
――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟謁見室―― イストリアはたくさんの行政官や議員と面会し、それぞれに具体的な指示を出して忙しく過ごしています。 ローゼンベルクは前皇帝時代、内政面で辣腕を振るい父皇帝の信頼を得たのですが、平時の政治と戦時対応とでは勝手が違ったのか帝国の統治機構は酷い有様でした。特に皇帝支持の勢力を一掃したため人材が不足しており、そこに物資の包囲網が重なって帝国政治は混沌としていたのです。 イストリアはまず追放されていた人々を呼び戻し、その人達の帰還を待っている間も時間を無駄にしませんでした。政府の失策によって困窮状態に